チノ役にイ・ミノ 。チャンニョルに「ぶどう畑のあの男」で医師役だったキム・ジソク。イケメンのふたりは建築設計のコンペを競うライバル。コンペの主催はゲイのチェ・ドビン。彼が館長を務める美術館として映しだされているのが「クリン(錦湖kring)」だ。kringはオランダ語の「円」を意味する。それだけでピンと来る、そのユニークな外観。水の波紋が広がるように、複数の円窓から弧状に波紋が広がって重なりあったようなファサードのデザイン。ソウルの地下鉄三成(サムソン)駅の近くにあってアートの複合スペースとして使われているそうで、韓国の現代建築の元気の良さが伝わってくる。

クリンの設計はチャン・ユンギュを中心とした韓国の建築設計グループである「韻生同(UnSangDong Architects)」。チャン・ユンギュは光州アジア文化会館などの設計を通して世界的に注目されていているそうで、クリンはVision Gateというコンセプトに基いているとか。

「個人」は韓国語でケイン。主役のケインにソン・イェジン。彼女は韓国ドラマを見始めた頃にみた「恋愛時代」で主役の水泳のインストラクターをしていて、確かメロドラマの女王と呼ばれていたと思う。ソン・イェジンにはドラマにスーッと引き込んでいく魅力がある。

ケインの友人ヨンソン役のチョ・ウンジ。チノの先輩サンジュンとの会話が「パリの恋人」のヤンミを思い出す。ケインの恋敵、キム・イニにワン・ジヘ。「1%の奇跡」に出演していたらしいが記憶にない。ちょい役のチノの元恋人の医師ユン・ウンスは、なんとユン・ウネ。

MBC(韓国・2010年).


  
4人のオンナによる韓国版「デスパレートな妻たち」と聞いただけで引いてしまうが、軽いミステリー仕立てで、思ったよりは面白かった。韓国tvNという知らない局のドラマ(2009年)。どこかで見たような見てないような、B級の4人の女優たち。

ジュエリー会社長ソ・ホンジュ役のオ・ヒョンギョンはこのドラマの主役に最も相応しい、波乱な経歴の持ち主だ。1989年ミスコリア、1998年 コンジュ映像大学兼任教授、1999年 芸能界から離れる、2002年 出版社会長と結婚して出産、2003年 ヒュモンコム理事、離婚。2007年 芸能界に復帰。芸能界を離れたのは私生活を撮影したビデオ(「O嬢ビデオ」と呼ばれたそうだ)がネットに流れ,社会的に波紋を起こしたことによる。

作家志望のアン・ボベ役のイ・アヒョン。作家というイメージじゃない。彼女は「オンリー・ユー」でイジュンの姉役。ジャッキー・チョンのチェ・ソンヒョンは「検事プリンセス」で黒縁メガネをかけたあの検事。印象が全く違う。喫茶店おな主人のオ・ダジョン役のソン・ソンミには興味なし。


2007年 SBS チェ・ジウ主演。彼女は174cmという長身で、存在感があり演技力のある女優だ。チェ・ジウから反射的に「冬のソナタ」を想起するのはやめたい。大作で多くの制作費が投じられた。が、すごく面白いドラマではない。ラブストーリの要素が足りないのが不満だ。

このドラマの魅力は2001年3月にオープンした仁川(インチョン)国際空港とその裏側が映像化されていることだ。Wikipediaによると、国際空港評議会(ACI)が選出する2004年-2008年の「空港ランキング」総合評価部門で連続して「世界最優秀空港賞」を受賞、イギリスの航空調査会社スカイトラックス社によるランキングでも2009年度・2012年度に1位になるなど、国際的に高い評価を得ている空港だ。国際貨物量で2006年に成田空港を抜いて世界2位になっている。

旅客ターミナルはイギリスの建築家テリー・ファレル(Terry Farrell、1939年 -)の設計である。ソウルから1時間ほどの距離にある国際空港で、全世界127都市(2004年)を結ぶ韓国の空の玄関。国内線は釜山(プサン)と済州(チェジュ)、大邱(テグ)の3都市間で運行している。
2009年KBS。この翌年の6月に自殺したパク・ヨンハ主演のドラマ。彼が日本で知られていたのはヨン様に近いゆえであった。「踊る大捜査線」の青島を演じる織田裕二のキャラクターに似ているだろうか。チェドン建設御曹司のドウを演じたキム・ガンウ。演技派の地味な俳優だが、映画「京義線」(2002年)でトリノ映画祭の主演男優賞を受賞している。

ドラマの中で回を追うごとに美しくなっていくギョンアにパク・シヨン。「恋するハイエナ」でテレビ局PDチョルスの婚約者チャン・ソミだった女。11月に一般人と結婚したが、SHINHWAエリックの彼女として知られていた。デビューは中国CCTVで放映されたドラマ「鳳求凰」の主人公。韓国での活動を始めたのはSBSの「マイガール」から。演技派として知られる。他に「コーヒーハウス」(2010年、SBS)など。

ドウ妹ウンスにハン・ヨウン。「私の名前はキム・サムスン」ではサムスンに教えてもらっていたパティシェ見習。
2007年、ケーブルチャンネルtvNのドラマ。原作はガンドハによる「C級青春の恋愛ファンタジー」と呼ばれるインターネット漫画だ。「フルハウス」、「宮」、「銭の戦争」などの人気漫画がドラマになっているが、オンライン漫画原作がドラマになるのはこれが最初らしい。人生に対する未練を発見する20代の青春が題材だ。ドラマの撮影地は黒石洞。

この作品は、ミュージカル、映画も製作され、原作の品質と人気をうかがうことができる。ポータルサイトでの連載時に月の閲覧数500万件以上、本で20万部以上売れ、2005年の韓国漫画大賞を受賞した。

キャッツビー役のMCモンは韓国では人気のあるラッパー、ヒップホップアーティストだ。1999年にグループPeople Crewでデビューした。韓国で6枚のアルバムをリリースしている。

ペルス役のパク・イェジンは「バリでの出来事」(2004)のヨンジュ。ソン役カン・ヘミンは100倍の競争を勝ち抜いて抜擢された新人女優だった。が、ペルス役のパク・イェジンともに、このドラマのほかに目立った活躍はしていないようだ。
模索期(1975~1982)、隆盛期(1983~1989)、爛熟期(1990~1995)の3章に期間を区切って、50件近くのポストモダン建築を選び、イラストと写真を交えて紹介している。白井晟一の懐霄(かいしょ)館から始まり、作品の選択がとてもよい。著者の磯達雄さんはもと「日経アーキテクチュア」の記者。

巻末に著者と建築家隈研吾の対談がある。隈氏は、日本のポストモダンには二面性があったと説明する。それがモダニズムと比べてわかりにくさを生んだという。ひとつは「場所性」の復活。モダニズムのグローバリズムに対する場所の固有性を再発見しようというムーブメントだ。もうひとつは「パン・アメリカニズム(汎米主義)」。ギリシャ・ローマ以来の非場所性を基本とする古典主義建築を、アメリカの場所性として抽出した。日本にはアメリカからポストモダンが入ってきたため、アメリカ発の新しいグローバリズムを受け入れさせられたという側面がある。この2つのどちらが強くでるかで、作品にバラツキがでたと見る。彼は「日本のポストモダン」にあった緊張感を評価している。

『(日本のポストモダンは)、道化性を引きずると、こっちの崖に落ちちゃう、正当性を引きずると、こっちの崖に落ちちゃう、という綱渡りの時代だった。この時代はいろいろな建築の方法論を極限まで引っ張って試している。成功例も失敗例も、すべてのサンプルがある。僕(隈)の今のスタンスは、この時代を並走したからこそ見えてきたものです。・・建築というのは、それが社会とどういう関係を切り結んだかが表れる。小説もそういうところが面白いわけで、日本のポストモダンの20年間は、そんな文学的な楽しみ方ができる時代です。ヨーロッパでいえばコルビジェやミースファンデル・ローエが生きた戦争前後の時代もそうですね。ヴァレリーはそれを「精神の危機」の時代と呼んだ。社会に対して建築家がどう戦ったかというドキュメンタリーとして、ポスト・モダンの時代を見て欲しい。』

 北海道に白井晟一氏による1つの作品が残っている。それがこの本にも収録されている「尻別山寮」だ。現在はヒノキ新薬の薬草園兼保養所「ルスツ山寮」として、同社の保養・研修に利用されている。留寿都村、近くにルスツ・リゾート、背後に尻別岳を望むロケーションの中に山寮はある。1972年に建設された外壁がれんが造りの山寮。れんがは道内産の石炭焼きだという。

 孤高の建築家、詩人建築家、あるいは哲人建築家や異才と謳われた白井晟一。最高傑作の佐世保市にある親和銀行懐霄館(1975)、かつて松山千春の個人事務所も入居していた港区のノアビル(1974)、渋谷区立松濤美術館(1980年)。彼は国内外で活躍する建築家に大きな影響を与えた。

 本書は磯崎作品である群馬県立近代美術館にて2010年9月に開催された「建築家 白井晟一 精神と空間」展の公式カタログである。カタログには磯崎新、白井昱磨、布野修司、松隈洋、谷内克聡の論考が収録されている。『白井晟一の「蹲る昏さ」(うずくまるくらさ)の起源をこそ、いま捜すべきではないか』(磯崎新)

カレッタ汐留のBLUE OCEAN
体全体が街の青い光に包まれたという感じは初めての体験。半地下という汐留の構造が存分に活かされているのだろうと思う。そう遠くない昔に海だった汐留地区をイメージしたというコンセプトは「海のクリスマスイルミネーション」。昨年末のクリスマスには「冬の汐博2010」というイベントも開催され、汐留シティセンターのイルミネーション、クリスマスマーケット、日テレのイベントと賑やかでした。参考「汐留シオサイト アートプロデューサーのBlog(http://sio-site-art.cocolog-nifty.com/blog/)」。

 著者の都甲幸治さん(http://mblog.excite.co.jp/user/kojitoko/)は早稲田大学文学学術院准教授。

 かつてアメリカ文学とは翻訳だった。が、そんな「先入観」は確実に変化している。インターネットなどの影響により、境界はぼやけ、影響関係が双方的になった。

 村上春樹さんの本を介して偶然に柴田元幸さんに師事することになる。その後米国でアメリカの文学の研究者をめざすが、日本人が米国人と伍してアメリカ文学を研究することに違和感を感じる。

 アメリカ文学研究と翻訳。異なる時代背景のもと、師と同じ道を選択することになった著者の手探りの格闘ぶりが知れるのが面白い。

前書きに塩野七生さん、後書きに瀬戸内寂聴さん。この人は誰?と思う。

著者の島地 勝彦さんは編集長として「週刊プレイボーイ」を100万部雑誌に育て上げ、「PLAYBOY」編集長、「Bart」創刊編集長などを務めた。柴田錬三郎、今東光、開高健、瀬戸内寂聴、塩野七生、荒木経惟をはじめとする錚々たる面々と画期的な仕事を重ねてきた伝説の編集者だそうだ。いまは引退している。

現在コラム「乗り移り人生相談」(http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100520/92079/)を書いている。

 「韓流」はよく知っていても「日流」現象という言葉はあまり耳にしない。が、食や文化の交流を通じてジワジワと日流が韓国に浸透している。というのは韓国ドラマを通じてもよく感じる。著者はクォン ヨンソクさん。東アジア国際関係史、日本外交史を専門とするソウル生まれの研究者。一橋大学大学院法学研究科准教授。出版は日本放送出版協会 (2010/07/30 )。

 第1部で数ページにわたって韓国ドラマに触れている。ここで知った豆知識を1つ披露する。韓国では約1時間半の放映時間の間にCMが入らない。これは視聴者がドラマのストーリに集中するために一役買っている。さらにドラマのトータル時間が決められた枠をはみ出すことに韓国では抵抗がない。これは製作者側のメリットになっている。よりドラマ作りに専念できる。夜のドラマは週2日が基本で、1日目は次の日に続き、2日目でストーリが1段落する。

 韓国では、8時のニュースが終われば、あとは時間がずれることに抵抗がないそうだ。電車時刻表といい、時間のやや病的な厳守は、きわめて日本的なことなのかもしれない。なお日本のテレビで韓国ドラマが放映されるときは、途中にCMが入り、時間内に納まるようにカットされるのだから、全く同じドラマを観ていると思わないほうがよい。

 韓国ドラマが最初にブームとなったとき、韓国ドラマがなぜブームになったかについての解説がずいぶん為された。いまは気付いている人が多いけれども、その分析はブームになった一部のドラマについての分析だった。韓国ドラマはもっと多様性をもつ。韓国でドラマは国を代表する文化であって、日本でいうと、アニメより相撲や歌舞伎に近い位置にある。それだけ役者、シナリオ、監督のすべてに、才能のある人とお金が集まっている。だから韓国ドラマは面白い。

 DiaryNoteの「商品・ニュースの検索」が10月上旬まで使えない。商品紹介へのリンクがないはそのため。機能のアップ中でしょうか。楽しみです。
インセプションをみたから脳の本を読んだわけではない。あちらはSience Fiction。関係ない。テレビでしか知らないが体のまわりにオーラが見えるという人がいる。半信半疑だ。が、

「ヒトは自分を中心に周囲の空間をマッピングする神経細胞群をもつ。直接行動に結びつく手が届く範囲の空間は、そうでない空間とは区別されて、詳細にマップされている。」

の説明に、最初はオーラのことかと勘違いした。マッピングは脳の中につくられる身体地図のこと。一流の音楽家やアスリートの研鑽は、結果的にこのマッピング能力を研ぎ澄ませることになる。マップの連携が崩れるとき、彼らはスランプに陥る。この本で紙数を割いている「ジストニア」の問題は深刻だ。

著者のSandra Blakesleeさんは女性のライター。息子さんが2人いて、共著のMatthew Blakesleeはそのひとり。

ピンクや赤の鮮やかな色を使った彫塑的な壁の住宅。バラガンの作品は雑誌などにしばしば取り上げられて目にする。たとえば、福山雅治さんのキユーピーマヨネーズのCMで、ピンクの壁を背景に馬が走るシーン。

印象的なこれらの住宅はメキシコの明るい風土を反映したものだ。ピンク・黄色・紫・赤などのカラフルな色彩で壁を一面に塗るなどの要素はメキシコの民家によく見られる。

この本で主にとりあげられている自邸は、バラガンが亡くなるまでの約40年間を過ごした。彼は故・黒川記章氏のようにイメージスケッチによるデザイン、設計を行なったという。それを元にアシスタントが図面を描いた。

バラガンはメキシコ第2の都市グアダラハラの地主階級の家に生まれ、グアダラハラの自由工科大学を卒業したが、建築はほとんど独学だった。ただ大建築家のごたぶんに漏れず、親にお金があったこともあり、2年間かけてスペイン、フランス、モロッコと建築グランドツアーを行った。それが建築家としての出発となった。

ルイス・バラガン(Luis Barragan、1902年3月9日~1988年11月22日)は2002年には生誕百年を迎えた。

インドサイ「クララ」は幼いときからインド植民者の邸宅で飼われてきた人懐こい子。オレンジとビールとタバコを愛した。そしてオランダ人船長とヨーロッパにわたる。人間との信頼関係があったから、クララはヨーロッパまでの長い船旅に耐えられた。18世紀の実話である。

当時ヨーロッパではサイを知る者がほとんどいない。「幻の獣」だった。クララはヨーロッパのほぼ全域を20年かけて巡業し、行く先々でブームをまきおこした。興行者はクララの肖像権をセールス。おかげで絵などにその姿が描かれ、クララの姿が後世に残った。

作者のリドリー,グリニス(Ridley Glynis)はイギリス、ニューカッスル生まれ。18世紀学の学者で、現在はアメリカのルイスヴィル大学英文学部准教授。この本でInstitude of History Research賞を受賞した。

鳩山さんが首相になって科学的発想が注目されている。「力学」で経営の現場を読み解くという視点。「力学」という工学的なまとめ思考であるが、研究一筋の経営学者がたどりついた着地点の1つである点に、重みがある。

「力学」は対象に作用する力を分析して、その釣り合いを解く。経営に作用する力は著者が長年にわたって分析してきたカネ、情報、感情。これらの力が絡み合って経営の力学が生まれる。力学の作用する場は組織や市場。あるいは国家間など。力学の場を分析して戦略を練る。それが経営だという図式。とてもわかりやすい。

公認サイトのhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~koshino/によると、著者の伊丹先生は日本の経営学界をリードしてきた研究者だそうで、専門分野は経営学・企業経済学。一橋大学名誉教授。

面白く読みやすい本。著者の藤井厳喜さんは客員教授や講師の肩書きはあっても学者ではない。プロフィルにはキャスター、銀行や証券会社の顧問の経歴もある。妻はメキシコ人らしい。ブログはhttp://www.gemki-fujii.com/blog/

最近のテレビ報道をジャックしている感がある酒井法子。台湾・中国で人気があると知って、不思議に思った人も少なくないと思う。その答えは「越境するポピュラーカルチャー」にある。日本の韓流ブームにも同じ構造がある。

中国では1980年代に「おしん」などの日劇(日本のドラマをこう呼ぶそうである)が放映され、第1次のブームを引き起こし、「憧憬や情熱を持って希望のある未来の中国を建設し、知識、理性と道徳で美しい人生を追求しようとする」はば広い年齢層に支持された。

1990年代半ばになると、上海東宝電視台が「東京ラブストーリー」を大ヒットさせた。これをきっかけに、日本人の若者の都市生活や恋愛模様を描くトレンディドラマの第2次日劇ブームが起こる。このブームによって、木村拓哉、竹野内豊、反町隆史、常盤貴子、深田恭子、そして話題の酒井法子などのアイドルが崇められるようになった。

しかし「今世紀に入り、中国視聴者の好むテイストが変わった」。

日劇は韓劇、つまり韓ドラにとってかわられた。中国でも韓流ブームは起きたらしい。「ロマンティックな純愛に家族の絆、社会の人情、仁・義・孝・忠などの儒教倫理を絡める庶民の日常生活を描く」韓劇は若い視聴者の間で人気となった。

1997年から10年間続いた韓流ブームは2006年に入ると下り坂に向かった。

韓国で2004年に大人気だった「パリの恋人」は2005年11月に北京で放送されたときの視聴率ランキングでは6位と低調だったという。

長い間中国のテレビから姿を消していた日劇が2006年から再び登場してきて、いま第3次日劇ブームの渦中となる。酒井法子が中国でもてる背景にこのブームがあるのかもしれない。

なぜ日劇と韓劇は入れ替わる形で中国でブームを引き起こしたのか。知りたい人はこの本を読むとよいかもしれない。

P.S. 昼間のTBS「噂の!東京マガジン」で司会の森本毅郎が韓国ドラマに嵌っているという話をしていた。

建築の本を沢山書いている五十嵐 太郎さんの本。「建築」と「映画」の関係を学者らしくクリアに整理しています。が、期待した内容ではなかったです。五十嵐さんはあまり映画が好きじゃないんだろうか。「鈴木了二が語る映画と建築」のような、もっと建築評論家らしい熱い視点を期待してました。

『鈴木了二さんは映画の中に「建築映画」というジャンルがあるといいます。鈴木了二さんが言う「建築映画」というのは、そこに出てくる建築をいかに上手く撮るかに重点が置かれていて、俳優や音楽そしてストーリーまでも建築を見せるためにある映画で、たとえ一瞬でもそこに映る建築がいきいきと画かれ、それが主人公やストーリーへの注目に比べて勝っているものだといいます。』(http://www.ozone.co.jp/blog/archives/2007/06/post_18.htmlより)

五十嵐さんのブログはhttp://www.cybermetric.org/50/index.htmlです。

鳥の仏教

2009年7月20日 読書
インコ好きの私としては無視できないタイトルと表紙。中の挿絵もきれい。「鳥の仏教」は中沢新一さんが最初に読んだチベット語の経典だそうです。オウムがカッコウや鳩たちに尋ねる問答集である。

カルカッタ大学のサティス・チャンドラ・ヴィダブシャナが1903年に「The Religion of Birds」で復刻出版したのが一般に知られた最初。インド人の仏教徒によって書かれたものではなく、チベット人の仏教徒の手によって、大乗仏教の経典を模して書かれた。ヨーロッパにはフランスのHenriette Meyerによる「Precieuse guirlande de la Loi des Oiseaux(鳥のダルマのすばらしい花環)」、イギリスのEdward Conzeによる「The Buddha’s Law Among The Birds(鳥たちの語るブッダの教え)」などの翻訳がある。

 「鳥だけでなく豚だって牛だって動物には心がある。人間は自分だけ心があると思っているけどそんなことはない。もともと人間の(持っている)条件から解放しようとしているのが宗教。この本は人間のことばかり考えている宗教を人臭さから解放したいんです」(インタビューhttp://www.zakzak.co.jp/gei/200901/g2009010928_all.htmlより).

四方田犬彦さんは韓流ブームのはるか前にソウルの建国大学で客員教授を務めていた。アジア映像作家についての著作もあったはず。それを思い出した。

期待していた韓流ドラマ情報は得られなかった。自注を添えた自著の「グレイテスト・ヒッツ」を刊行するなんて図々しい。が、アイザック・アシモフ(だったか?)を真似たという動機は健全。99冊の著作にもバライティがあってよかった。

四方田さんのインタビューはhttp://www.bookjapan.jp/interview/090428/note090428.htmlで読めます。

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